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母の昭和を超えてゆけ

2008年生まれの娘に母が昭和の時代に読んだものを押し付ける

ちいさいモモちゃん

私の世代(1972生まれ)より少し上の年代のお話ですかね、『いないいないばあ』でおなじみ松谷みよ子のモモちゃんシリーズ。

モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)

モモちゃんとアカネちゃんの本(1)ちいさいモモちゃん (児童文学創作シリーズ)

 

今は酒井駒子のイラスト(表紙だけ?挿絵も?)で文庫になっているようですが、私所蔵の古いものを読ませました。

私が読んでいたときも多少古さを感じましたが、まあ当時も「ゴーストップ(挿絵から判断するにお巡りさんが人力でやる信号のこと?)」とか、わからないなりにも読んでましたので娘もとくに引っかかることなく楽しんでいたようです。

モモちゃんシリーズはパパとママの離婚の問題などを児童文学的に素晴らしく扱ったことでも評価が高いわけですが。(以下ネタバレ)

なかでもパパと心が通わなくなってしまったママの元に靴だけ帰ってくるという描写はほんと、すごいなと思っていたのですが。

1992年に出たエッセイの(「小説」と書いてあるけどエッセイだろう)『小説・捨てていく話』を読むとなんとコレ実話。

小説・捨てていく話

小説・捨てていく話

 

マジか! 児童文学にこんなこと書くなよ! いや書いて!

ほかにもパパは「歩く木」、ママは「育つ木」だから一緒の鉢ではいられない、パパの木にくっついてる「やどりぎ」にママは決してなることはできない、とかパパとその愛人を寓話化した章とか全部実話でしたよもう。 

とまあ大人になってみると驚愕ポイントの多いこのシリーズではありますが、改めて私が驚いたのはそこではありません。

モモちゃんシリーズを読んでいると気づくこと。それは「モモちゃん(と2作目で生まれる妹)がしょっちゅう放置されている」ことです!

基本的に、子供向けのお話というのは子供がひとりでほっつき歩いているものですが(大人がいると冒険ができないから)、それは「お話の中のことですからね〜現実じゃないですよ」感が前提としてあるわけですよ。

ところがモモちゃんでは、幼児がひとりで、あるいは乳児と二人で留守番をしている場面がそこここに見られる(ちなみにモモちゃんのママはワーキングマザーです。だって夫が↑な状態だしね……)。そしてそれが「お話の都合上」感ゼロ。マジでこれやってましたよね??という雰囲気モリモリなのです。

今では考えられないことですが、よくよく思い出してみれば私も3歳のときにひとりで留守番していた覚えがあり、3歳で急に留守番しろと言っても無理だろうから、おそらく乳児のときには寝てる間に買い物に、ということが行われていただろう(ちなみに母は働いていたので同居の祖母が私をみていました)。

40年ぐらい前は、子供なんてほっとくものだったんですね。電車にベビーカー問題などで紛糾すると「昔の母親は子供が小さいうちは電車になんか乗らなかった」と過去の母親の自己犠牲を異様に評価する声が上がることがありますが、違いますよ〜。

単に子供を置いてひとりで電車に乗ってただけだよ!

その結果事故もボコボコ起こってたはずだよ!

今は子供を連れて外出するようになったおかげで子供が死なずに済んでよかったね!

ということですよ。今のお母さん(とお父さん)は子供の安全を昔より考えるようになっていて素晴らしいですね! 

モモちゃんとアカネちゃんの本(2)モモちゃんとプー (児童文学創作シリーズ)

モモちゃんとアカネちゃんの本(2)モモちゃんとプー (児童文学創作シリーズ)