母の昭和を超えてゆけ

2008年生まれの娘に母が昭和の時代に読んだものを押し付ける

モモちゃん最終巻と読むタイミング

 先日書いたモモちゃんですが。

娘に主に読み聞かせていたのは保育園の年中、年長のころだったか?
私が自分で読んだのは、おそらく小学校に入学してからだったと記憶していますが
モモちゃんと年代の近いうちに読むとおもしろいかな?ぐらいの気持ちで読み聞かせておりました。

ただ、アカネちゃんは小さいものの、当初同一視していた(であろう)モモちゃんはだいぶお姉ちゃんになってしまうことなどもあり、最後に出版された『アカネちゃんとなみだの海』は買ってはあるものの読み聞かせてなかったんですね。

で、そういやもう3年生じゃん、と先日思い出して渡してみたのです。
しかし保育園のころ読んだモモちゃんシリーズ、その後読み返してる気配もなかったけど内容覚えてんのか?

最終巻を読む前にヒアリングしてみたところ、意外にけっこう覚えてましたね。
モモちゃんのトイレトレーニングのためにママがパンツを30枚縫う(パンツ手作りだったの!?)話、モモちゃんの「ニンジンがいや」発言にショックを受けてニンジン大脱走な話、帰宅が遅いママに激おこのモモちゃん終電後の電車に乗って雲の上へGO(またその雲が食べるとウマい)という話、モモちゃんが「うしおに」に影をなめられて生きるか死ぬかの大ピンチ……

ところが、例のパパとママの泥沼がらみのお話は全然覚えていない! 靴しか帰ってこないとかママのところに死神が来るとかインパクトはありそうなんですが。そして、悲しいお話だから封印した、という感じでもなく、どうやら彼女の理解の範疇を超えていて、記憶に定着してなかったんじゃないかなという印象です。へー。

パパの話を全然覚えてないまま最終巻を読むのもどうなのかと思いましたが、3年生女子はその辺にはとんとこだわらず『アカネちゃんとなみだの海』を読み、「おもしろいいイイイイイ!」と開眼。前作も一気に読み返し、雑に扱って口絵ページをびりっと破って怒られました。んもーお母さんはずっと大事にしてたのに!

私は正直、パパが靴しか帰ってこない話は辛くて嫌いだったのですが、娘はあんまりフィクションに感情移入するタイプではないためか、そこについてはとくに感想もないようで。読み聞かせる側としては多少気を使っていたのに……。それにしても、文学作品に触れるタイミングって重要ですね~。

そういや私の小学校の図書館に世界の文学のジュニア版全集があって、パール・バックの『大地』とか読んだけど、もうほんとにどんよりしちゃった覚えしかない。あんなもんジュニア版にしてまで小学生に読ませる意味あるのか! 二度と読む気せんわ! 纏足こわい
と、今改めてあらすじ読んでみたら

貧しい農夫、王龍(ワンルン)と阿藍(オーラン)一家の暮らしにようやく明るさが訪れようとしたとき、飢饉が襲う。二人はやむなく町へ出、それぞれ車夫と乞食になって糊口をしのぐ。そのうちに二人は、折からの暴動の勃発によって思いがけぬ大金を手にする。一家は再び故郷に帰り、没落した地主から土地を買い入れる。さいわい引き続く豊作にめぐまれて王龍は大地主にまでなるが、余裕ができると女遊びに走り、ついには妾を家に入れる。阿藍はただ黙々と働きつづける。子供たちは大きくなり、一家の暮らしはしだいに変容し、やがて二人にも死が

大地

なにこれおもしろそうじゃないですかね